大正ロマンの時代、ハイカラの足音
洋装、カフェー、活動写真。大正という短い時代に花ひらいた、和と洋が出会う暮らしの風景をたどってみませんか。
公開日: 2026年10月16日
「大正ロマン」という言葉を、お聞きになったことがあるかもしれません。明治と昭和のあいだ、わずか十五年ほどの短い大正時代(一九一二年から一九二六年)を彩る、独特の文化と空気感のことを指すこの言葉。和服に洋帽、お着物に革靴、抹茶とコーヒー――不思議な取り合わせのなかに、新しいものと古いものが共存していた、あのきらびやかな時代の光と影を、わたしたちは「大正ロマン」と呼んできました。きょうは、その短い時代に花ひらいた、ハイカラの足音をたどってみるお話です。「ハイカラ」という言葉の語源、活動写真、カフェー、女学生の袴(はかま)スタイル――いまの私たちの暮らしのなかにも、その名残はあちこちに残っています。ご一緒に、しずかにめくってまいりましょう。
「ハイカラ」という言葉の生まれ方
「ハイカラ」という言葉、いまでもお年を召された方の会話のなかで耳にすることがあります。「あら、ハイカラね」「ずいぶんハイカラなお召し物」――おしゃれで、新しもの好きで、少し都会的な印象を表す言葉として、長く使われてきました。この言葉の語源は、英語の「high collar」、つまり「高い襟」のこと。明治の終わりごろから大正にかけて、西洋風の高い襟のついたシャツやコートを身につけることが、おしゃれの象徴になりました。そこから、西洋風のものを好む人や、流行を取り入れた人のことを、「ハイカラ」と呼ぶようになったのです。
もともとは、新しもの好きをからかうような響きもあったそうですが、しだいに「進んでいる」「都会的」というプラスの意味へと変わっていきました。電車に乗って、銀座を歩き、カフェーでコーヒーをいただき、活動写真を観る――そんな新しい暮らしのかたちをいち早く取り入れる人々が、街の話題をさらいました。なかでも、女性が髪を結い上げてリボンを飾り、お着物に革靴という、和と洋を組み合わせた装いは、大正ロマンを象徴する姿として、いまも繰り返し映画やお芝居のなかに登場します。
大正ロマンを彩った、いくつかのキーワードをご紹介します。
- ハイカラ――西洋風のおしゃれ、進んだ暮らし方
- モボ・モガ――モダンボーイとモダンガールの略
- 活動写真――まだ無声映画だったころの映画館
- カフェー――コーヒーとお酒を出す、社交の場
- 女学生の袴スタイル――矢絣のお着物にえび茶の袴
活動写真とカフェー、新しい娯楽が街に灯る
大正時代の街には、それまでの日本にはなかった新しい娯楽が、次々と灯りはじめました。なかでも人気を集めたのが、活動写真(映画)です。当時の映画はまだ無声で、画面の横に「弁士」と呼ばれる方が立って、登場人物のセリフを語ったり、物語の進行を説明したりしました。それぞれの弁士には独特の語り口があり、人気の弁士の出る映画館には、長い行列ができたといいます。映画そのものを観るというよりも、弁士の名調子を聞きにいく、という楽しみ方もあったそうです。
また、街にはカフェーが次々と開店しました。いまでいう喫茶店とは少し異なり、当時のカフェーは、コーヒーやお酒を出しながら、若い女性の従業員(女給と呼ばれました)がお客様の相手をする、ハイカラな社交の場でした。文豪と呼ばれる作家や画家たちが、カフェーで議論を交わし、新しい思想を語り合ったといいます。芥川龍之介、菊池寛、谷崎潤一郎――いまも名前を聞く方々が、若き日々をカフェーで過ごしていたのです。
「カフェー・パウリスタ」「カフェー・プランタン」「カフェー・ライオン」――東京の銀座を中心に、こうしたお店の名前が一世を風靡しました。鉄道の発達によって、東京と大阪、京都、神戸といった大都市が結ばれ、ハイカラ文化はあっという間に全国へと広がっていきました。お祖父さま、お祖母さまの世代の方が「むかしカフェーに通っていてね」と語られるとき、その向こうには、大正ロマンの華やかな時代の空気が広がっているのです。
女学生と女性の社会進出、しずかな革命の時代
大正時代の特色のひとつに、女性の社会進出の足音が聞こえはじめたことが挙げられます。それまでは、家のなかにとどまることが当たり前とされてきた女性たちが、女学校に通い、職業に就き、街を歩く――そんな新しい風景が、少しずつ生まれてきたのです。なかでも有名なのが、矢絣(やがすり)のお着物にえび茶色の袴、革のブーツ、髪にはリボン、という女学生スタイルです。映画やドラマで何度も再現されてきた、あの装いです。
「はいからさんが通る」という漫画(後にアニメや映画にもなりました)を覚えていらっしゃる方も多いでしょう。あの主人公の花村紅緒(はなむら べにお)は、まさに大正ロマンの女性像を象徴するキャラクターでした。お着物に袴、自転車に乗り、剣道を学び、自分の意見をしっかり持つ――そんな新しいタイプの女性が、時代を一歩ずつ動かしていったのです。
電話交換手、デパートの店員、バスの車掌、教師、看護婦――それまでは男性中心だった仕事のなかに、女性の姿が増えていきました。「職業婦人」という呼び方も、この時代に生まれた言葉です。お祖母さまの世代、もしくはひいおばあさまの世代で、そうした新しい仕事に就かれた方のお話を、ご家族のなかで耳にされたことがあるかもしれません。家のなかの世界しか知らなかった女性たちが、外の世界に足を踏み出す――それは、しずかではあったけれど、確かな革命だったのです。
関東大震災と、ロマンの終わり
けれど、輝かしい大正ロマンの時代は、長くは続きませんでした。一九二三年(大正十二年)の九月一日、関東大震災が起こります。東京、横浜を中心に十万人を超える方々が亡くなり、街の多くは灰になりました。銀座のカフェーも、浅草の活動写真館も、女学校の校舎も、多くが焼失。震災のあと、街は次第に復興していきますが、大正ロマンの華やかな空気は、ゆっくりと色を変えていきました。
やがて昭和の時代に入り、日本は戦争へと向かう道を歩み始めます。ハイカラだった暮らしも、ぜいたくとして批判される時代がやってきました。お着物に袴、洋装、カフェー、活動写真――そうした文化は、戦時下にはひととき影をひそめます。けれども、戦後の高度成長期に入ると、大正時代を懐かしむ気持ちが、改めて人々のなかに芽生えてきました。映画、ドラマ、漫画、文学――いまも繰り返し、大正ロマンは新しい世代の心をつかみつづけています。
わずか十五年。その短さゆえに、かえって大正は美しく見えるのかもしれません。和と洋が出会い、古いものと新しいものが共存し、女性たちが街に歩み出した時代――いまの私たちの暮らしのなかにも、その時代の足音はあちこちに残っています。コーヒーをいただく習慣、おしゃれを楽しむ気持ち、職業を持つ女性の姿、自由に発言する権利――どれもこれも、大正の人々が踏み出した一歩から始まっているのです。ふと、お祖母さまやひいおばあさまの古い写真を取り出して、お着物姿のなかにあるリボンや、お顔の佇まいを、ゆっくり眺めてみてはいかがでしょう。そこには、ハイカラの足音が、いまもしずかに響いているはずです。大正という時代を生きた人々の願いとよろこびを、長い年月をこえて、私たちもしっかり受け継いでいきたいものですね。お近くの図書館や郷土資料館を訪ねてみると、地元の大正時代の写真や記録が残っていることもあります。いまの私たちにつながる、まぶしくも切ない時代の足音に、ぜひ耳を澄ましてみてください。