おはじき、ガラスの玉のひかり
畳の上に広げた色とりどりのおはじき。指先でそっとはじいた音と、光をとおすガラスのきれいさが今も目に浮かびます。
公開日: 2026年11月14日
押し入れの奥や、古いお菓子の缶のなか――もしかすると、いまも色とりどりのガラス玉が、ひっそりと眠っていらっしゃるご家庭もあるのではないでしょうか。あの、指先ほどの大きさの平たい玉。手のひらに転がせば、お互いがふれあって、しゃらりと涼やかな音を立てる――「おはじき」のお話です。畳のうえに、ぱっと撒いて、指先でひとつをぱちんとはじく。狙ったほうの玉に当たれば、自分のものになる。当たらなければ、お友達の番。たったそれだけの遊びでしたが、いまふり返ってみますと、おはじきには子ども時代のしずかな時間が、ぎゅっと閉じ込められているような気がしてまいります。日のあたる縁側や、お友達のお家の畳のうえ、雨の日の学校の机のうえ――いろんな景色のなかに、おはじきの色と音があったことを、思い出してみませんか。小学生の頃にお小遣いで買った、あの一袋。お母さんが「もっと大事に使いなさい」とおっしゃった声まで、ふしぎとよみがえってまいりますね。
色とりどりのガラスの玉、その光
おはじきの何が一番うつくしかったかと申せば、やはりあの「光をとおす色」だったのではないでしょうか。赤、青、緑、黄色、紫、藤色――どの色も、深い透明感を持っていて、太陽の光にかざすと、その色がさらに鮮やかに広がりました。あれは、お庭の縁側にお友達と並んで座って、おはじきを一つずつ太陽にかざしてみる、そんな遊びをした覚えのある方も、いらっしゃるのではないでしょうか。赤いおはじきは熟したりんごのように、青いおはじきは夏の海のように、緑のおはじきは森の小径のように――子ども心に、色のひとつひとつから、自然の景色をいろいろと想い描いていたのです。
ガラスのなかには、よく見ると小さな気泡が閉じこめられていたり、ちょっとした色のムラがあったりしました。「これは大きな泡が入っているからきれいだね」「こっちは星みたいな模様だよ」――そんなふうに、一つ一つの個性を見つけては、お気に入りのおはじきを大切に取っておいたものです。お菓子の缶や、小さな巾着袋にしまって、机の引き出しの奥にこっそり仕舞いこんでいた――そんな子もいらっしゃったでしょう。お気に入りの一粒は、絶対にお友達との交換に出さないと決めていた、あの小さなこだわりも、いま思えばかわいらしい思い出です。
そして、おはじきの音。手のなかで二つ三つを重ねて、しゃらしゃらと鳴らした音。畳のうえで指先ではじいたときの、ぱちん、という小気味のよい音。机のうえで滑らせた時の、つるつるとした感触。それぞれの音や手触りに、五感のすべてが結びついていました。お年を重ねたいまでも、駄菓子屋のレジ横にずらりと並んだガラスのお菓子瓶や、お孫さんの誕生日プレゼントの包み紙の音などに、ふっと、あの「おはじきの音」を思い出すことがあります。あの頃の私たちは、テレビゲームもタブレットもなくとも、こうした小さなガラスの玉ひとつで何時間もしあわせに過ごせていたのですね。
遊び方は単純、けれど奥が深かった
おはじきの遊び方は、地域やご家庭によっていろいろあったでしょう。基本的なルールは、畳のうえに数十個のおはじきを撒いて、自分の番が来たら、一つを「親」と決めて、ほかの玉に当てて取っていく――というものでした。でも、こまかなルールは、それぞれの女の子グループのなかで、独自に育っていたように思います。
- 「親」を指でぱちんとはじいて、ねらった玉に当てる
- うまく当てれば、その玉も「親」も自分のものに
- 親と狙った玉のあいだに、指で道を引いてから打つ
- ほかの玉に触ってしまったら、おしまい
- 全部の玉が無くなったら、たくさん集めた人の勝ち
上手な子は、指のはじき方がじょうずでした。親指と人差し指で輪をつくり、その中の親を、ぴたりと狙った玉に飛ばす――一発で当てる技術は、子どもながらに尊敬を集めたものです。「○○ちゃんはおはじきが上手だね」と褒められると、得意げな笑顔を見せたお友達の顔が、今でも目に浮かびます。
そうして、玉と玉のあいだに、指で「道」を引く。指の腹がすべる感覚と、畳の上の細かな織り目を覚えていらっしゃる方もあるでしょう。畳の縁にあたると、おはじきはちょっと弾んで方向を変えました。「ああ、せっかく狙ったのに!」と悔しがるあの瞬間も、今となっては愛しい記憶です。雨の日、学校の体育館の床のうえで遊んだおはじきの感覚と、お家の畳のうえで遊んだ感覚は、まったくちがいました。同じ遊びでも、場所が違うと、ガラスの玉の動き方も変わって見えたのです。冷たい板の間ではよく転がり、畳の上では程よく止まる――そんな場所による違いを、子どもなりに体で覚えていたのですね。
いまの暮らしのなかにも、ガラスの光を
押し入れや古いお菓子の缶のなかから、おはじきが出てきたら、ぜひ一度、太陽の光にかざしてみてください。あのころと変わらない、深い色の透明感が、いまも変わらず光をとおしてくれるはずです。お孫さんが遊びにいらした時に、「これね、おばあちゃんが小さかった頃の遊びの道具なのよ」と見せてあげる――それだけで、世代を超えた小さな会話が生まれます。
お孫さんは、スマートフォンのゲームに夢中の毎日かもしれません。けれど、ガラスのおはじきの光の前では、不思議とぴたっと手がとまります。「これ、なに?」「きれいだね」「中になにか入ってるの?」――そんな素朴な問いから始まる会話は、画面ごしのやりとりとはまったくちがう、生身の手触りに満ちています。
また、おはじきは、いまも文房具屋さんやおもちゃ屋さんで、新しいものを買うこともできます。お正月のお茶会や、孫が遊びに来る予定の日に、新品のおはじきをいくつか用意しておく――それも、ちょっと楽しいおもてなしです。「これ、すごい、たくさんあるね!」と目を輝かせるお孫さんを見ながら、自分の子どもの頃と重ね合わせる――そんなひとときが、孫育てのなかの大切な思い出になっていくでしょう。
おはじきが教えてくれたものは、何だったでしょう。指先の細かな技術、相手の番を待つ忍耐、勝った時のうれしさと負けた時のくやしさ、そして何より、お友達と顔を合わせて時間を分かち合うことのよろこび――そんな素朴な体験を、私たちは「遊び」と呼んできました。たった数十個のガラスの玉のなかに、子ども時代の宝が、いっぱい詰まっていたのです。
おはじきを手元に転がしていると、ふしぎなことに、当時の風景がさまざまな匂いや音と一緒に蘇ってまいります。夕暮れ前のお母さんが煮る、お味噌汁のだしの匂い。窓の外で響くトンビの鳴き声、遠くから聞こえる豆腐屋さんのラッパ。お友達のお家の畳の、ちょっと黄ばんだような色。何もかもが、おはじきの色とりどりの光のなかに、いっしょに閉じ込められているような気がするのです。
お年を重ねたいまだからこそ、ふと押し入れをのぞいてみる――そして、あの色とりどりの光をもう一度、手のひらに転がしてみるのも、よい休日の過ごし方かもしれません。きっと、しずかな午後の日差しのなかに、遠い昔の友だちの笑い声や、お母さんの呼ぶ声までもが、ふわりと立ち上がってくることでしょう。指先にあのつるりとした感触がよみがえった瞬間、私たちは時間をこえて、あのころの自分にそっと再会するのです。ガラスの玉ひとつにも、これほど豊かな思い出がしまわれている――そう気づける時間こそが、お年を重ねたからこそ味わえる、しずかなぜいたくなのです。