ベーゴマとメンコ、地べたの遊び
路地裏や空き地で、夢中になって回したベーゴマ。手のひらに痣をつくりながら、勝ち負けに一喜一憂したあの午後です。
公開日: 2026年11月4日
ふと、お孫さんが遊んでいるゲーム機の音が聞こえてきたとき、心のどこかで、「むかしの私たちは、もっと地べたで遊んでいたなあ」と思われることはありませんか。ベーゴマ、メンコ、ビー玉、おはじき――おとなの腰くらいの高さの道端や、お寺の境内、家の前の路地裏で、私たちは飽きもせず、地面に頭を寄せ合って遊んでいました。膝が真っ黒になっても、母に叱られても、勝ったり負けたり、一喜一憂しながら過ごした、あの長い夕暮れの時間。きょうは、地べたの遊びの代表選手だった「ベーゴマ」と「メンコ」の思い出を、ゆっくりたどってみたいと思います。
ベーゴマ、台の上でぶつかり合う鋼の音
ベーゴマと聞いて、まず思い浮かぶのは、あのチリンチリンとぶつかり合う金属の音です。鋳物でできた、手のひらに乗るほどの小さなコマ。重みがあって、紐をぐっと巻き付けて、力いっぱい床に投げつけると、ものすごい勢いで回転しました。
遊び方は、家の縁側の上や、駄菓子屋さんの店先に並べられた「ベー台」と呼ばれる木の樽の上に布や畳の縁を張ったもので、みんなで一斉に投げ込んで、最後まで回っていた人が勝ち。負けた人のコマは勝者にもらえるという、なかなか勝負のはっきりした遊びでした。ベーゴマ一個を取られると、その日のおこづかいで買い直さなくてはならなかったので、子どもながらに真剣そのもの。負けた友だちが、本気で悔しがって泣いていた姿を、いまでも覚えていらっしゃる方も多いでしょう。
ベーゴマには、いろいろな種類がありました。お父さんに買ってもらった重たい「特大」、駄菓子屋さんで手に入る「中型」、お小遣いで買える「小型」。重さや形、紐の巻き方ひとつで、回り具合が変わってきます。みんな自分なりに工夫して、コマの先をやすりで削ったり、紐に蝋を塗ったり、鉛筆の芯で印をつけたり。子どもなりの研究心がそこにありました。「お前のコマ、なんで強いんだ」と聞かれて、自分だけの秘密の工夫を、にやりと笑って隠した――そんな小さなプライドの記憶を、お持ちでしょうか。
メンコ、地面に叩きつけるあの瞬間
もうひとつ、私たちの少年時代を彩った遊びが「メンコ」です。厚紙でできた小さな札のような遊び具で、片面には、人気の野球選手、お相撲さん、力道山、月光仮面、鉄人28号――時代を彩るスターたちの絵がカラフルに描かれていました。
遊び方は、地面に置いてある相手のメンコのそばで、自分のメンコを叩きつける。その風で、相手のメンコをひっくり返したら勝ち。ひっくり返したメンコは自分のものになる――これもまた、シンプルだけれど、勝ち負けがはっきりする勝負の遊びでした。
- メンコは大判、中判、小判――サイズや形がいろいろあった
- 力の強い子は、地面を叩く音が「バチン!」と大きく響いた
- 投げ方や角度で、風の起こり方がまるで違った
- 稀少なキャラクターのメンコは、子どもたちのあいだで高値の通貨
- 学校に持っていって没収された経験のある方も少なくないはず
メンコを叩きつけるとき、手のひらが真っ赤になるくらい、地面を強く叩いていました。「もうやめなさい、手が痛くなるから」と母に言われても、もう少し、もう少しと続けていた、あの夕方の路地裏。気がついたら太陽がぐっと低くなっていて、母の「ごはんよー」という声でようやく我に返る――そんな日々が、何年も続いていました。
メンコには、子どもの社会のなかのちいさな経済もありました。レアな絵柄のメンコは「これ三枚と交換ね」「いや、四枚じゃないと無理」と、子ども同士でちゃんと値段交渉が成立していたのです。お小遣いを握りしめて駄菓子屋に走り、十円玉一個でメンコ三枚を買って帰る。お小遣いがなくなったら、自分のいちばん大切なメンコを賭けて勝負する――子どもながらに、お金と心理と運の入り混じった、なかなか奥深い世界がそこにありました。
地べたで遊ぶ、ということ
ベーゴマもメンコも、共通しているのは「地べたで遊ぶ」ということです。みんなで頭を寄せ合って、しゃがみ込んで、土や石ころのまわりで、夢中になって熱中する。ズボンの膝は真っ黒に、靴下も真っ茶色に。母が「もう、また泥だらけで」と毎晩のように嘆いていらしたお姿が、目に浮かびます。
あの「地べたの近さ」は、いまの子どもたちの遊びには、なかなかありません。ゲームの画面のなかで、椅子に座って、指だけ動かして遊ぶ。便利で安全で快適ですが、地面の温度、土の匂い、コマがぶつかる金属音、メンコが叩きつけられる「バチン」という空気の動き――そういった、五感全部で感じる遊びの感覚は、いまの子たちには伝わりにくいものです。
けれど、考えてみれば、私たちは、五感をフルに使って遊んでいた最後の世代なのかもしれません。手のひらで紐を巻く感覚、コマが指を離れる瞬間の重み、メンコを地面に叩きつけたときの掌の熱、勝ったときの胸の高鳴り、負けたときの悔しさ――どれも、画面のなかでは味わえない、生きている実感そのものでした。あの感覚は、いまも私たちの体のどこかに、ちゃんと残っているのです。
お孫さんに、地べたの遊びを伝えてみる
もし、お孫さんが遊びにいらした時間があれば、「むかしね、おじいちゃんはこういう遊びをしていたのよ」と、ベーゴマやメンコのお話をしてみてはいかがでしょうか。「ベー台」がなくても、家のなかで、お盆の上などに布を張れば、簡単に代わりになります。最近では、駄菓子屋さんがほとんどなくなりましたが、インターネットでも、伝統的なベーゴマやメンコは、いまでも手に入ります。
お孫さんが、最初はぽかんとした顔で「これ何?」と聞いてくるかもしれません。けれど、いっしょに紐を巻いて、いっしょに投げて、コマがくるくる回るのを見ているうちに、その目がだんだんきらきらしてくる――そんな瞬間を、私たちは経験で知っています。スマホやゲームと違って、自分の手のなかで「動かす」遊びは、子どもの本能に直接訴えかけるところがあるのです。
また、最近では「アニメのコマ回し」(漫画やアニメの影響で人気が再燃しているコマの遊び)も、子どもたちのあいだで密かなブームになっているそうです。ベーゴマの伝統が、形を変えながらも、新しい世代に受け継がれている――そう考えると、あの夕暮れの路地裏での遊びが、いまも子どもたちの遊びの根っこに生き続けていることに、なんとも嬉しい気持ちになります。
地べたの遊びの記憶は、私たちにとって、子ども時代の宝物のような時間です。お小遣い十円を握りしめて駄菓子屋に走った日、勝ち取ったコマを大事に抱えて帰った夕方、負けて泣きながらおうちに戻った道、母の温かい夕食の匂い――どの場面も、ふっと胸の奥がじんわりとあたたかくなるような、不思議な力をもっています。テレビを消して、お茶を入れて、目を閉じて、ゆっくりあの頃を思い出してみる。それも、お年を重ねた私たちだからこそできる、しずかな贅沢のひとつなのです。きっと、いっしょに遊んでいた友だちの顔、住んでいた町のたたずまい、季節の風の匂いまでが、ぱっと胸によみがえってくるはずです。今もどこかで元気に暮らしているかもしれない、あの頃の遊び仲間。久しぶりに連絡をとってみる――そんなきっかけにも、なるかもしれませんね。地べたの遊びは、もう過去のものになりつつありますが、その時に培われた粘り強さや、勝ち負けを受け止める素直さは、私たちの人生の根っこに、しずかに残り続けているのです。