「もったいない」を世界が知った日
日本語の「もったいない」が、世界共通の言葉になった経緯をご存知ですか。一語に込められた知恵のお話です。
公開日: 2026年6月8日
「もったいない」――幼い頃、ご飯粒をひとつでも残すと、おばあさんやお母さんから言われた覚えのある方も多いでしょう。お米の一粒には八十八のお百姓さんの手間がかかっている、神様が宿っている――そんな話を聞きながら、最後の一粒までていねいに食べた、あの食卓を、いまも覚えていらっしゃるかもしれません。実はこの「もったいない」という日本語、いまでは世界中で通じる共通の言葉になっているのをご存知でしょうか。
ケニアからやってきた、ひとりの方のおかげで
「もったいない」が世界に広まったのは、二〇〇五年、ケニアの環境活動家であるワンガリ・マータイさんが来日したことがきっかけでした。マータイさんはアフリカで植林活動を続けてこられた方で、二〇〇四年に、環境分野では初めてとなるノーベル平和賞を受賞された方です。
来日された際に、マータイさんはこの「もったいない」という日本語と出会い、たいへん感銘を受けられました。その後、世界中で講演を行うたびに「Mottainai」という言葉を紹介し、地球の資源を大切にする心の象徴として、広く世界に発信してくださったのです。
マータイさんは、こうおっしゃったそうです。「もったいない、という言葉には、リデュース(減らす)、リユース(再使用)、リサイクル(再生利用)の三つに加えて、リスペクト(尊敬)も込められている」と。たった一語のなかに、四つの大切な意味が宿っている――日本語の奥深さを、外の世界から教えていただいた瞬間でした。
「もったいない」という言葉に込められた、四つの大切な心を改めて確かめてみます。
- 減らす――ものを無駄に増やさない
- 再使用――まだ使えるものを使い切る
- 再生利用――かたちを変えてもういちど
- 尊敬――ものや命への、深い感謝のこころ
とくに四つ目の「尊敬」が、ほかの国の言葉にはなかなか含まれていない、と言われています。
「もったいない」のもともとの意味
そもそも「もったいない」という言葉は、どこから来たのでしょうか。漢字で書くと「勿体無い」となります。「勿体」とは、もともと「物の本体」「あるべき姿」を表す仏教用語だったとされます。つまり「もったいない」とは、「本来あるべき姿が損なわれてしまうのは惜しい」という、深い意味を持った言葉でした。
ものを大切にする心は、もちろん日本に限ったものではありません。けれど、それを「ひとつの言葉」として日々の暮らしに溶け込ませてきた文化は、世界でも珍しいと言われています。お米の一粒、布の切れ端、紙の切りくず、お湯のお風呂の使い回し――日本の暮らしには、もったいないを実践する場面が、本当に数多くあったのです。
おじいさんやおばあさんから、こんな言葉を聞いたことはありませんか。「これは、まだ使える」「もう一度、洗えば直る」「畑の肥やしになる」――どれも、「もったいない」の四つの心を、日々の暮らしのなかで表現していた言葉でした。
いま、私たちの暮らしのなかで、もう一度
世界中で「もったいない」が知られるようになった一方で、肝心の日本では、その心がすこしずつ薄れている、という声もあります。便利な暮らしのなかで、食べ物も、衣類も、家電も、ためらいなく捨ててしまう機会が増えました。けれど、年を重ねた私たちには、おばあさんやお母さんから受け継いだ「もったいない」の感覚が、まだしずかに残っているはずです。
今日からできる、ちいさな「もったいない」を、いくつか挙げてみます。むずかしい話ではなく、暮らしのなかにある、ささやかな知恵ばかりです。
- ご飯は炊いた分だけ、残ったら冷凍へ
- 野菜の皮や葉は、お味噌汁の具に
- 古着は雑巾に、刺し子に、お孫さんの工作に
- 古新聞は野菜の保存や、油の処理に
- お風呂のお湯は、お洗濯にもう一度
- 壊れたものは、まず直すか、聞いてみる
これらを「節約のため」「お金のため」と捉えるよりも、「ものに感謝するため」と思って続けていくと、暮らしのなかに小さな豊かさが生まれます。
「もったいない」は、ただの倹約の言葉ではありません。私たちの日々の暮らしを支えてくれている、無数のもの・無数の命に対する、しずかな感謝のかたちです。子どもの頃、ご飯粒を残さなかった私たちの背中を見ながら育ったお孫さんたちは、いつかきっと、その心を次の世代に伝えてくれます。世界中の人々が、わざわざ「Mottainai」というカタカナで取り入れてくれた日本語を、いま改めて、暮らしのなかで大切に使い直してみたいものです。明日の食卓で、ご飯のおかわりを一口、はんぶんだけ。お風呂のあとの残り湯を、お洗濯にもう一度。古い布を一枚、雑巾に縫い直して。そんなささやかな「もったいない」が、世界とつながる小さな祈りになります。年を重ねた私たちには、それを次の世代にそっと手渡していく、しずかな役目があるのかもしれません。一語の日本語が、世界の暮らしを変えていく――そんなしずかな力を、いまの私たちの食卓に取り戻していきたいものですね。