敬老の日、たたえられる側になって
いつの間にか「たたえられる側」になっていることに、気恥ずかしさを覚える方もいらっしゃるでしょう。長く生きてきたこと自体に、確かな重みがあります。受け取り方のお話です。
公開日: 2026年9月12日
九月の第三月曜日は、敬老の日です。お孫さんやお子さんから「いつもありがとう」と声をかけてもらったり、花束やお菓子を贈られたりする方も多いことでしょう。けれど、心のなかでは「自分はそんなにたたえられるような年ではないし……」と、少し気恥ずかしさを覚える方もいらっしゃるのではないでしょうか。お祝いされる側に立つというのは、それまでとは少し違う、不思議な感覚を伴うものです。長い間、誰かのお世話をしたり、ご家族を支えたりする立場だったのに、いつの間にか自分が「たたえられる側」になっている。今日は、敬老の日を迎えるご自分の心の中を、ゆっくり眺めてみるお話です。
「敬老の日」って、いつ、なぜ始まったの?
敬老の日は、もともと昭和二十二年に兵庫県のある村で「としよりの日」として始まったのが、その始まりとされています。「老人を敬い、長年社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」――そんな思いが込められて、全国に広がり、後に国民の祝日になりました。当初は九月十五日でしたが、平成十五年からは「ハッピーマンデー」として、九月の第三月曜日へと変わりました。
敬老の日は、お正月のように決まった行事があるわけではありません。ただ、一日に一度、長く生きてきた方々への感謝の気持ちを言葉にする――そんな静かな時間が、家のあちこちで流れています。「いつもありがとう」「お元気でいてくれてうれしい」――そんな短い一言が、贈り物よりもずっと深く、心に届くことがあります。
「たたえられる」ことの、ちいさな気恥ずかしさ
「もう敬老の日にお祝いされる年になったのね」――そう思った時の感慨は、複雑なものがあります。長く生きてきたことを誇らしく感じる気持ち、まだそんな年齢ではないと思いたい気持ち、子どもや孫の優しさが嬉しい一方で、なんとなく落ち着かない気持ち。一つの言葉で表せない、いろいろな感情が混ざりあいます。
けれど、考えてみれば、長い年月を生きてきたこと自体に、確かな重みがあります。戦後の混乱を乗り越え、お子さんを育て上げ、お孫さんの成長を見守り、地域や職場で誰かの力になってきた――その一つ一つを、はたから見れば「立派なこと」と映ります。たたえられることに照れくささを感じるのは、ご自分にとってはあたりまえの毎日だったから。それでも、その「あたりまえ」を続けてきたこと自体が、誰かの心の中に大きな存在として残っているのです。
贈り物の受け取り方、気持ちの伝え方
お孫さんから手作りの絵を受け取った、お子さんから花束が届いた、遠方の親戚から電話がかかってきた――敬老の日には、思いがけない形でお祝いの気持ちが届きます。そんなとき、どう受け取るのがいちばんよいか、迷われる方もいらっしゃいます。
贈り物を受け取った時、こんなふうに気持ちを返してみるのもいいですね。
- 「ありがとう、嬉しいわ」とそのまま素直に伝える
- 「いつまでもらえるかしらね」と笑いに変えてもいい
- 後で電話やお手紙で、改めて感謝を伝える
- 受け取ったその瞬間の表情を、ご家族が長く覚えてくれることもある
- お礼に「あなたたちもお元気でね」と、こちらから労りを返す
贈る側にとっても、敬老の日は気恥ずかしいものなのです。「お母さんに何を贈ろうか」「おじいちゃんは喜んでくれるかな」――そうやって考えてくれている時間こそが、いちばんの贈り物。だからこそ、受け取る側は、素直に「ありがとう」と笑顔を返すのが、何よりのお返しになります。
自分から「ありがとう」を贈り返す、もう一つの楽しみ方
敬老の日には、こちらから家族に何かを贈り返すという楽しみ方もあります。「いつもお祝いしてもらってばかりで申し訳ない」と思った時、それを行動に変えてみるのです。お孫さんに、手作りのお菓子やお漬物を渡してみる。お子さん家族にお手紙を書いて、「いつもありがとう」と素直な気持ちを伝えてみる。普段はあたりまえになってしまっていることへの感謝を、節目の日にあらためて言葉にすることは、ご自分の心の整理にもなります。
また、長年の友人や、お世話になった親戚への連絡もおすすめです。「敬老の日だから」というきっかけがあると、ふだんは連絡しにくい相手にも、自然にお電話したりはがきを送ったりできます。「あなたもお元気にしていらっしゃいますか」「私もおかげさまで」――そんな短いやりとりが、お互いの励みになることもあります。お元気なうちに、長年の関係を温め直す時間にもなる――そんな静かな贅沢が、敬老の日にはあります。
敬老の日に合わせて、ご自分の人生のふり返りを文字にしてみる、という過ごし方もあります。書きためたい思い出、家族に伝えておきたい話、これまでの仕事や趣味の歩み――そういったものを、ノートに少しずつ書き留めていく時間も、節目の日にはふさわしいものです。難しい自伝のような形でなくとも、その日感じたことを一頁書くだけで、ご自分のこれまでの人生を、しずかに肯定する時間になります。書きためたものを、いずれご家族にお渡しする時には、世代を越えた贈り物にもなります。「私が生まれた時、戦争が終わった直後でね」「最初に勤めた会社では、こんなことがあったの」――そんな短い文章のひとつひとつが、ご家族にとって何より大切な遺産になります。
地域によっては、敬老の日に合わせて、市役所や町内会から「長寿のお祝い」が届くこともあります。米寿(八十八歳)、卒寿(九十歳)、白寿(九十九歳)、百寿(百歳)――こうした節目の年齢には、特別なお祝いが用意されている自治体も多いものです。お住まいの地域でどんなお祝いがあるか、ご家族と一緒に確認しておくのもいいですね。長く生きてきたことを、地域全体が祝ってくれる――その温かさは、何にも代えがたいものです。お一人で住んでいる方には、民生委員さんが訪ねてきてくださることもあります。「お元気にされていますか」と声をかけてもらえる時間は、ささやかながら心強い支えになります。
敬老の日は、たたえられる側になったご自分を、もう一度肯定してあげる日でもあります。長く生きてきたこと、誰かを支えてきたこと、いまも家族の中心に居ること――そのすべてを、誇りに思っていい日です。気恥ずかしくても、贈り物を受け取って、温かいお茶を入れて、ゆっくりと過ごす時間を作ってみる。それが、ご自分にも、ご家族にも、いちばん優しい敬老の日の過ごし方かもしれません。今年の九月の第三月曜日、家族との小さな時間をすこし大切にしながら、これまで歩んできた道のりを、そっとふり返ってみていただけたらと思います。お一人で迎えられる方も、心の中で「今年もよく頑張ったね」とご自分にねぎらいの言葉をかけて差し上げる――そんな静かな時間も、また敬老の日の過ごし方のひとつです。長く生きてきたこと自体が、何ものにも代えがたい財産であり、誇りであり、これからの日々を温めてくれる、心の太陽のような存在です。今日の一日が、心ほどけるあたたかな時間でありますように。そして、ご自分も、これまで生きてきたすべての日々を、どうか肯定して、誇らしく思っていただけたらと願っています。家族からの「ありがとう」を、素直に「ありがとう」と返せる――そんなしずかな贅沢を、敬老の日のひとときに見つけていただけたら幸いです。これからも、ご自分らしく、輝く時間を重ねていってください。